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宝塚牛乳のぷりん

2011.11.30 *Wed*
2011113001.jpg

美味しかったです!
とろとろで、でもぷりぷりで、牛乳プリンというイメージよりもクリーム焼きプリンという感じ。
濃厚で色んな深みのある味がしました(*´U`*)
その辺のプリンとは完全に別物……母も父も美味しいとすごく喜んだ(*´艸`*)
きっと相当良い牛乳使ってるんだろうなぁ……
おけいちゃんありがとー!

暖かいような寒いような日が続いてますね。

2011113002.jpg

もっぱらお昼は日向でごろごろ転がってるどんですが、
こんなマヌケ面も癒しです(*´艸`*)



追記は弱音基、手帖。

少しだけ日が過ぎて、ちょっとだけ落ち着いてきました。
勿論今だって泣けといわれれば3秒で泣ける自信があるけど、
当初できなかった相手の立場になるってことを漸く考えることができました。

もし私がそういう立場に立ったらどう思うかなって考えたら、
まずはやっぱり自分の死っていうのが怖くて
まだ死にたくない、もっとやりたいことがある、なんで私なんだってなると思う。
でももしそれがもう逃れられないものだと確定してしまったら、
やるだけのことはやると思うけど、
結局今いるひとに幸せになってほしいって願うことになると思うんです。
だってそれ以外できることがなくなるんだもんね。

お父さんお母さん、弟、おばあちゃんおじいちゃん、従兄弟、それから友達、
彼氏、皆に幸せになってくれといいなって考えに移行する気がしました。

私の周りには彼氏も友達もいてくれて、弱音を聞いてくれます。
これはなんて恵まれてるんだろうって感謝の言葉もでない程なんですが、
一方母はそういった友達がいません。
大親友を2人4,5年前に亡くして、唯一仲が良い友達も多忙でなかなか会えず、
年老いた祖母に張り裂けんばかりの胸の内を晒して負担をかけるわけにもいかず、
いえる相手が私しかいないのかもしれません。

父の状態が思わしくないこと、
最悪の状態を考えておいたほうがいい、
万が一最悪なことになった場合自分も耐えられないかもしれない、
自分が死んでしまってもどうか許してほしい。
そんなことを日々呟きます。

母の胸中も分かるのでそんな事言うなともいえません。
でも、最悪の状況なんてもういやってほど考えたし、
私だって父を万が一なくしたらどうしたら良いのかなんて検討もつかない。

最強といっても差し支えないくらいネガティブな母なので、私がポジティブになろうと思ったのも、日々母のネガティブな言葉を聴き続けて24年に終止符を打ちたかったからでもあります。
母という檻から抜け出したかった。

でも、母のこの考え方は自分を追い詰めるだけだし、
父がこんなことを言われるのは望んでいないと思う。
私が父だったらこんなの一番やだ。
影でこそこそ最愛の旦那が、娘にむかって「おかあさんの死を覚悟しなさい」とか、
「何かあったとき自分もダメかもしれない」とか
そんなこと言ってるなんて思ったら、それこそ寂しい。

もう子供じゃないんだから、病名聞けばそれが何をもたらすかくらいいくらでも考えられる。
不安定な私を支えてくれた母を、私が支えてあげたい。

子供のころ父に抱きついたときの暖かさ。
私の頬や額にキスをしてくれていたときの優しい感覚、
おんぶの時の背中、お尻を叩かれたときの熱い厚い愛。
早々すっきり出来るものじゃないし、
母に負けず劣らずの愛を私も父からもらってきたと思います。

父は基本的に無口で、あまり自分からどうのこうのといいません。
でも、私たちを愛してくれていることは間違いなくて、
私たちも父を愛していることは間違いなくて。

他人ごとならすぐに気づけたはずの単純なことが、
感情が先行しすぎた所為で分からなくて、
しっくりくる自分の答えが出ませんでした。

時が流れていくから、人も老い、そして死ぬ。
だからこそ人は不変を求めて、それにすがって自分を慰める。

ついつい死について検索してしまったり、
本に書いてあったことを思い出してしまったり、
向き合うにはどう考えたらいいのかという答えを探してしまいましたが、
どこからが逃げで、どこからが向き合ったことになるのか、
その境界線がよくわかりませんでした。

宗教的なとこになれば、ほんと楽な考え方が沢山あって、
細かい宗派までやってるとキリないんで省略しますが、
仏教なんかだと死は通過点でしかない、そんで輪廻転生してまた生まれてくるみたいな。
キリスト教だとカトリックは死後の世界に本当の幸福がある、だったかな。
プロテスタントは、死ぬことで現世を離れて神のもとへ行けて、復活の準備の一端に過ぎない行為であったり。
(ちょっと違うところとかあるかも)
イスラム教とかだと、どこかへ移ることでここから姿を消しただけ、という考え方だったと記憶してます。

恐ろしいことにどれもこれも、
父のショックな話を聞いて数日間、私の脳裏で巡っていたのがこれら全部の考え方でした。
(あ、プロテスタントはちょっと違うかな…)

どっかいっちゃうだけ。
死なんていうのは通過点で、きっと向こう側にまた別の世界があるんだ。
幸せなんてのはこの世にはないんだ。

知識があったから無意識にそういう思考になったのかもしれませんが、
宗教に片足つっこんでたわけです。しかもかなりマジで。
冷静になれば、どれも根拠がないわけだし、
それこそ、私が1日2日で思いついてしまうようなものばかり。
(根本的な解釈は色々ありますけど割合)

じゃあ私はどうやっていけばいいのか。
正直上記の考え方はとても分かりやすくて、そして自分を救ってくれるのは間違いない。
心から輪廻転生を信じたら、きっと楽になれる。
キリストなんて実際居たかも私は疑ってるんですが、
とにかくなんか神様のもとにいって幸せになるんだと考えれば救われます。
勿論、それに寄りかかってしまいたい気持ちも凄く強い。

けれど、同じ人間が叫んだその一言を鵜呑みにすることが出来ない性格上、
それに頼ってしまうのはしっくりこない。
だからやっぱり私は私で死の考え方を見つないといけないんだと思う。
それはもしかしたら、何かの宗教よりの考え方になるかもしれないし、
色んな考え方があるんだから当然被ることもあると思う。

でも、神を信じたことのない父が神のもとにいける気がしないし、
一度もお経を唱えたことのない父が輪廻転生というのも変な感じ。
生まれ変わってきたってどーせ会えないんだからそれって一緒だと思うし。
信じてなくても救われるどーのこーのは、理論崩壊にも程があるのでやめておきます。
信じなくても救われるなら、信じること勧めてくるのがおかしいっしょ。

神も仏も糞もなく、ただ私たち家族の間で変わらないものが
お互いがとても大切だという感情的なもの。
大切なおもちゃが壊れたり、大切な故郷を離れるのが寂しいように、
あれやこれやの思い出と、これからの不安、
そして最期という気持ちが恐怖を連れてやってくるのはガチだと思います。

他人と死と身内の死で感じ方が180度変わるのは、
感情がそこにあるかないかの差だとしか思えません。
ぶっちゃけ、遠い国のまったく知らない人が亡くなるのと、
自分の最愛の恋人が亡くなるのではどうしたって重みは違いますよね

第三者の視点で死を語るのは簡単だと思います。
死は必ず訪れるものなんだから、しょうがない。
受け入れるしかない。生きているものが頑張るしかない。
私もそう思ってました。
友達がなくなったときも、危険な状態になったときも、
すごくすごく悲しかった。
でも、結局自分に頑張るしかないと言い聞かせました。
友達もそう望んでくれていたから尚更頑張れたと思いますが。

もし何もなかったころに、目の前に父を亡くした女性がいたら、
いつまで泣いていても何もかわらないよとか、
いつか皆死ぬんだよ、お父さんもそんな状態なのを悲しく思うんじゃないかな。
とか言ってたはず。

でもやっぱり今回全く勝手が違うのは、何かが違うから。

考えるのをやめたときは、エゴの崩壊だと思う。
生命活動が停止したときは生の終焉だと思う。

人が目を背けたりしてしまうものは、
例えば恐怖映画の恐怖シーンみたいに見たくないから見ない。
怖いから目を背ける。それ自体を避けるんだと。

恐怖映画なんて見なければそれでなんとかなるけど、死はそうもいかない。
父の後は母かもしれない、祖母かもしれない。どんかもしれない。
弟かもしれない、大切な友達の誰かや彼氏かもしれない。
毎回目を背けて納得いかない考えにふらふらしていたら、
私はこの先ずっとこのままだと思う。

自分で言うのは恥ずかしいけど、
頑固と言われる一因が自分の中にある考え方。
固執していいものとそうでないもの、譲れるもの譲れないもの、
私は自分と考えの違う人その人自身を否定しようとは思わないけど、
当然合う・合わないはあるし、好き嫌いもある。

ただ、極論持論がなければ足元がおぼつかない気がする。
仕事観、生活観、人間との付き合い方、友達ってなんなのか。
まだまだ若造な自分がこれを語るのは恥ずかしいし、
大人から見たら「まったくまだまだ青いな」って思われると思うけど、
私は私でこうだ!っていう考えがあります。
勿論生きていく中で多少変わってきますけど、一度決めたらそれを貫きます。
それで変だと思ったり納得できなかったら考える。
そんでもって変えるべきだ、私は間違ってたと思ったら変える。
人の忠告も勿論受けて、いつだって変えられるんだから。

数日でひとつ心に決めたのは死というものから逃げない、ということ。
宗教が逃げてると書くと御幣がありますが、
実際に見られないものをにわかに信じることができないので、
私にとってそれは逃げです。

信じるひとがいるのは勿論いいし、そこを否定したりはしませんが、
ただ私にとってそれはちょっと違うなって思うってことで。
楽なほうに逃げ続けてきた分、
ここいらでちょっと戦っておいた方がいいって気もしますし。

泣きまくります。
相も変わらず泣いてます。

でも数日前と少し変わってきました。
父の死に耐え切れず、私が支えきれず母も死んだとしても、
続けざまに祖母祖父、どん、弟、彼氏、友達、、
大切な人が亡くなるようなことがあったとしても、泣いた後は逃げない。

納得のいく答えがちゃんと出るまで頑張る。
どうしても頑張れなくなってダメ人間になるかもしれないけど、
そしたら私はそれまでだったってことだし。
私にとって頑張るは、負担でもなんでもない
達成したい目標で、そのために前進できることは嬉しい。

と書いて、いつもながら明日には考えが変わってるかもしれないww
なんせいまだ混乱してるのは間違いないしw

もっと一杯父と一緒にいようとリビングにいるようにしてるんだけど、
父も父である程度リビングで家族の時間を過ごしたら
前と変わらず自分の部屋に引っ込むから結局夜は前と変わらずw





でもね今日は朝父が、母の寝室へいって
「おはよう、ちょっと声を聞いて」といって声を出したらしい。
ずっとずっと枯れてしまって酷い状態だったのに、
今日はずっと聞けてなかった元の父の声が少しだけ戻ってたらしい。
慎重に嬉しそうに母が私にいった。

勿論一時的なものかもしれない。ちょっと調子がよかっただけのことかも。
これくらいで喜ぶと突き落とされたとき悲しい。
母はそういってまたすぐに寂しい顔をしたけど、私は嬉しかった。

すぐに逆接を使うのはやめよう。
現状をそのままありのまま受け止められるようになりたい。
良かったことがあったら喜んで、
ダメなことがあったらその時落ち込めばいい。

私は母も父も大好きだし愛してる。
なんて恵まれた環境にいるんだろうと幸せに思ってる。
けれど、母の弱さ、父のいい加減さ、これらを当たり前のように見てきた24年。
私にも当然その影響がでているのは自負してる。
けれどその受けてきた影響がどう自分の中に組み込まれているのかを考えて
「今まで当たり前だと思ってた感覚・感情・態度」を客観的にみないと、檻からは抜け出せない。

本当の私ってそこから始まるんじゃないかな、なんて。
話がそれちゃった。
父+母=私。
そこにプラスαをつけたら、そのαは私の力だよね。


偉そうになってるけど勘弁してください。
書き留めておくことできっと私は私自身の心を整理してるんだと思う。








…………………………病みすぎてやばい方向に走ったら教えてくださいw
あ、もう既にやばいですか。それは仕様なので大丈夫ですw
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| 枕草子 |

COMMENT

あなたが今直面している苦しみ、痛み、辛さを100%同様に感じる事は出来ません。
飾った言葉やきれい事を言ったとしても、それが本当に心に響く言葉なのか自信があり
ません。

私は22歳の時に父を亡くしています。その経験から言える事は、限られた時間の中で
お互いの想い出に残るような出来事を、出来る限り築いてあげて下さい。

ロジカルに考えても受け入れる事は難しいと思います。辛い、苦しいと思うよりも、
今何が出来るのかを考え、行動する事が大切だと思います。

考えたくはありませんが、最期の瞬間が訪れた時、きっと幸せな想い抱いて旅立つ事が
出来ると思います。
2011/12/01(木) 00:48:57 | URL | レイニーさん #- [Edit
プリンおいしかったかい?w

スルースキルは課金レベルの私にいえるのはコレくらいさっ。
・・・ゴメンナサイ。
2011/12/01(木) 01:45:46 | URL | aki #XYfK.occ [Edit
>れいにーさん
ありがとうございます。
こんな風に書いてしまうことで、色んなひとから暖かい言葉を沢山もらっているというのに未だ感情ばかりが先行して、皆が口をそろえて言う「後悔しないように」が一体どういうことなのかが上手く理解できません。
出来る限りのことをしてあげるのが良いのはわかります。
でも、どうしたって感情が溢れてしまって自分をちゃんとコントロールできません…。

でもれいにーさんのように私と同じくらいの時にお父さんを亡くされていたり、生まれたときには既になくなっていたという方も沢山いらっしゃる。
そういう人たちが皆「今できることを」とアドバイスくれるのですから私もそれをそうと受け止めて、出来る限りのことをしたいといつも思ってはいます。
なかなか身体がついてきませんが、好きなんだからしょうがないとそこは諦めて、死んじゃうかもしれないからこうしよう、とかじゃなくって、好きだからこそどうしようを考えるべきなのかもしれませんね。

暖かい言葉をありがとうございます。
暫くはひとり云々唸っているかもしれませんが、ご容赦ください。
2011/12/02(金) 10:50:30 | URL | もち苺 #CBGiEf.2 [Edit
>あかねちゃん
プリンは美味しかったんだけど、凄く濃厚な味だから1個をゆっくりしっかり味わって食べるのがいい感じ。
おけいちゃんも言ってたけど、1個目はチョーおいしい!って思ったらしいけど、2個目はそこまでじゃないかも……ってなったらしい(*´艸`*)

気持ちはすっごく伝わってます!ありがとう!
こんな私は本当に仲間に恵まれてるよね!
2011/12/02(金) 10:52:42 | URL | もち苺 #CBGiEf.2 [Edit

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